心臓カテーテル検査
今日、義父が狭心症の心臓カテーテル検査のため、近隣病院で精査入院をしました。たまたま私も休みだったので、義母共に病院へ。朝から検査に付き添うことになりました。
10時に入院し、13時からの検査。1時間ほどの心臓カテーテル検査の後、狭窄部位があるので、そのままステント留置術に切り替わり、術後の安静を確認して、今帰宅したところです。
心臓カテーテル検査とは、局所麻酔下に、手首または大腿の動脈から心臓まで管を入れて、冠動脈の造影検査を行うもの。その結果、狭窄があったため、その管を通して風船付きカテーテルを挿入し、冠動脈を拡張させ、義父はそこにステントを入れたようです。
帰りに病棟の片隅に医療事務の女性の方が電子カルテの前に座っていました。「テレビカードはどこで買えますか?」そんな質問をすると、電子カルテの手を止め、親切に応対してくれました。
当時の私は笑って患者様に応対出来ていたっけ。怖い顔でカルテだけを見ていなかったろうか。急に懐かしさがこみあげてきた私です。
入院担当志願
というのも、実は5年前までは、某病院で入院担当をしていました。
それまで私は人間ドック担当で、人間ドックのお知らせを送ったり、結果を送ったり、空いている時間は外来カルテを運んだりなど、一切診療点数にはかかわらない仕事をしていました。
しかし、診療報酬に興味が出てきた私は、なんとか「外来会計窓口の計算をしている人!、レセプトの見れる人!」になりたくて、チャンスを伺っていましたが、当時の外来担当は上司のお気に入りのメンバーで固められていて、入り込む隙はありませんでした。
その頃の入院担当は、激務と呼ばれる部署で、新しく入っては辞め、また新しく入っては辞めを繰り返しているような所でした。外来担当から入院担当へ異動になるのですが、もちろん、そんな入院担当に進んで行きたい人などいなくて、いつも一人辞めると次は誰が犠牲者になるのか!といった感じの雰囲気でした。
- 若い明るい人は外来担当
- 暗く怖そうな人は入院担当
- おばさんたちはドックや健診、カルテ運び担当
そんな位置づけがされていたように思います。
診療報酬を覚えるためには、外来担当は無理だと思った私は、あえて入院担当を志願しました。
全く診療報酬のしの字も知らず、外来(基本)の診療報酬も知らずに、大胆な行動だったと思います。しかし、当時本当に入院担当が足りなく、派遣会社の社員さんまでが応援に駆け付ける始末。私のようなものでも、やる気があるならと採用されたのです。
そこから私の本当の医療事務員としての一歩が始まったのです。
入院担当時代
自ら志願して入院担当になったものの、現実は過酷でした。一緒の病棟を担当した方が、たったの3か月先に入った方だったこと。応援社員さんがとても厳しかったこと。当時は紙カルテだったため、業務量がとてつもなく多かったこと。
突然、荒野に投げ出されたような感じでした。毎日泣いては起き上がり、怒られては立ち上がりを繰り返し、レセプト時には深夜になることも。
朝、入院診療録を出力し、ミーティング後にそれぞれの担当病棟へ。毎日入院カルテを全員分チェックし、診療録を手書きで記載。その後レセコン入力と、今では考えらえない程のアナログな業務をしていたのだと思います。
当時の診療録を掲載します。この小さなスペースに毎日の診療をカルテから拾い出して記入していくのです。全て手書きで、手計算。診療点数早見表と電卓を片手に医事課と入院病棟を往復する毎日。業務は本当に大変で紙カルテの時代には戻りたくありませんが、何故だかとても懐かしいです。
まとめ

今でこそ、ブログを書けるほど診療報酬が好きになりましたが、当時は本当に手探り状態。早見表を読みこなすことすら難しくて、教わるままよくわからないまま算定していたように思います。もし、今、診療報酬が難しくて投げ出したい人がいたら、もう少し踏ん張ってみて下さい。
苦労は必ず報われますよ。40過ぎて主婦から医療事務を始めたおばさんの私が言うのだから間違いないです。
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