自立老人を支えられない国家
父を見舞う旅
今日は新幹線の中で、ブログを書いています。
昨日、久しぶりに父の住む小倉に降り立ちました。折しも日本列島逆横断の台風の最中、行くのも少しためらいましたが、新幹線が止まったら、仕事を、休んで一泊伸ばそう。たまにはこんな突然の休みもいいかもね。と強行しました。
というのも父の様子が最近元気がない。一番近くにいる姉が参っていることもあって、普段全く父の世話をしない後ろめたさもあり、急いで新幹線に乗り込んだという訳です。
言い忘れましたが、父は大正15年生まれ、御歳92歳。高齢者サービス付き住宅に1人暮らしです。姉が車で30分ぐらいの距離に住んでいます。週末は姉がいつも様子を見に行ってくれているのですが、最近眠れないと睡眠薬に頼る毎日。眠れないと薬を飲む。薬を飲むと身体がだるい。だるいので、昼間寝てばかりいる。昼間寝ているので、夜眠れない。と悪循環の様子。
睡眠薬に後ろめたさがあって、やめていきたいが、中々やめられない。それも悩み。と、元気が無くなってしまったのです。
久しぶりに出会った父は少し痩せて、寂しげに見えました。元々社交的な人で高齢にも関わらず、太極拳、英語、パソコンなど多面なクラブに所属し、友人も多かったのですが、訳あって、去年、姉の住む近くの施設に転居してから、難聴も進んだ関係もあり、他人とコミュニケーションがしづらくなり、新しい環境で友人が出来ないことが、寂しさの一番の原因のようでした。
介護保険は何のためにあるのか
父は、心臓と肺に持病があるものの、背中はピンと真っ直ぐ、どこまでも歩けますし、認知もない。見た目は元気。ということで、何度申請しても介護認定は受けられません。しかし耳が本当に遠くて、筆談でしか会話が成立しないほど。おまけに92歳という超高齢者。何故、こんな老人に日本は手厚くないんでしょう。
自動的に90歳を超えた老人には自立していても、介護保険が降りてもいいと思います。最後まで自分らしく生きたくて、子供の手を借りず。一人暮らし。そんな老人をどうして国は応援していけないんでしょう。
習い事をしたくても送迎がないため諦め、社会から取り残されて行く父。それでは、子供のあなたが面倒みればいいじゃないか。って。そうですよね。それが出来れば一番なんですが。様々な理由があることも分かる方には分かりますよね。簡単に家族で解決出来ないこともあるのです。だから介護保険があるのに、自立だというだけで、何の恩恵も受けられない。
日本というのはそういう国です。戦後の復興に力を注いだ世代を支えることも出来ないのです。
医療の現場から
身体や心の具合が悪くなる老人は病院に行くことだけを日課とします。そこで沢山のクスリを出されて、益々死が遠くなる。それで在宅に手厚くと、医療現場も変わりつつありますが、まだまだこれからだなぁという印象です。
人間は死ぬまで、生きなくてはいけません。自分らしく生きるために。言葉では簡単ですが、生きることは、過酷です。
まとめ
新幹線は、西日本豪雨で被害のあった広島岡山を通過しました。新幹線のホームからは、わかりませんが、ここで、多くの方が被害に遭われました。雨ぐらいで、人が死ぬなんて、誰も予想しなかったことです。突然、命を落とされた方々はどれほど心残りだったことでしょう。
その一方で、オウムの犯人達がまとめて処刑されました。命の重みを、改めて考えさせられた夏でした。