トイストーリー4
おもちゃの子供(主人)を思う責任感、おもちゃ同士の愛と友情の証、軽快で痛快なハラハラドキドキさせるストーリー。
シリーズを通してのこれらの魅力は、変わらず4にも受け継がれていたが。が、しかしである。
え!結末、これで本当にいいのか?この訳のわからない私の涙はなんなんだ。ウッディがアンディ、否(今はボニー)を離れ、仲間のバズ達とも離れ、第二の人生を歩んでいく。そんなことがあっていいのか。そりゃあ、最初からボーとはいずれ恋仲になるとは思っていたが、これは単なるウッディとボーの恋愛物語ではない筈だ。
トイストーリーお決まりのエンディングを観ながら、家路への帰り道で、そして夜ベッドの中で1人考え込んでしまった。
ウッディはかつての自分が一番アンディに愛され、そしてその愛にがむしゃらに応え、おもちゃの仲間たちのボスとして君臨していた時代が終わり、そして今。
ボニーから時に忘れられ、仕事が無くなっていき、それでも何か出来ないかと必死で仕事に没頭する。その中で1人の主人に仕えるという生き方だけではない、他のおもちゃ達と子供達を結びつけるという、今までなかった自分の役割を見つけていく。
ギャビーやに自分の大切な声の部品を引き渡し、フォーキーにおもちゃの何たるかを教え、彼らに彼の今までの魂、志をも引き継いでもらい、かつての仲間たちともサヨナラをする。
これはなんだ。なんなんだ。どこかで見た事があるぞ。まるで、定年を間近に控えたおじさんではないか。仕事の成果が上がらなくなり、第一線を退き、人生を見つめ直し、色々な経験を重ねるうちに現役を離れることを受け入れ、第二の人生を歩んでいく。
生き方は多様だぞ。華やかだけが人生ではない。世間の片隅に忘れ去られた時からが自分の本当の人生だぞ、さあ、胸を張って第二の人生を生きろ!とウッディは身をもって教えてくれているのだ。と。
そう考えると全てが腑に落ち、あらためてもう一度、最初から観たくなった。
トイストーリー、単なるおもちゃと子供達の物語ではない。侮ることなかれ。人生の全てがここに詰まっている。